19歳大学生初めての海外旅行に1人でインドに行く〜コルカタ観光編〜
どうも!留年早稲田生マサルです!
突然ですが、僕は2018年9月9日から約2週間、1人でインド旅行に行っていました。
今回は、旅の出発地であるコルカタで僕の身に起こったことや僕が思ったことなどをご紹介します。
まず、簡単に僕が旅行前に計画していたルートをご紹介すると、
①コルカタを適当に散歩
②バラナシでガンジス川を見る
③アグラでタージマハルを見る
④ニューデリーでお土産を買う
⑤帰る
という感じです。
しかし、この旅程はすぐに大きく崩されることになります。
これからインド旅行を考えている方やコルカタ観光を考えている方、初めての海外旅行でインドに行った19際の大学1年生の身に何が起こったのか気になる方はぜひご覧ください。
スポンサードサーチ
インドのコルカタとは?
僕が経験したことをお話しする前に少し今回の話の舞台であるインドのコルカタについてご紹介します。
コルカタは東インドにある西ベンガル州の州都で、人口1485万人の世界屈指のメガシティです。
コルカタの観光地としてはマザーテレサが活動の拠点としていた「マザーハウス」やインドで最も古く最も大きい博物館である「インド博物館」、この後ご紹介する「ヴィクトリア記念堂」、「ハウラー橋」、「クエスト・モール」などがあります。
インドのコルカタで客引きに遭う

日本を出てタイとインドのムンバイを経由してコルカタのチャンドラ・ボース空港(上の写真)に着き、そこで一晩を過ごした僕はバスで1時間20分ほどの場所にある市街地に向かいました。
市街地に着き、バスを降りてその日予約していたホテルを目指して歩いていると、ある客引きに遭遇しました。
それまでですでに客引きに会うことは何回もあったのですが、彼が他の客引きとは違ったところは日本語を流暢に話せることでした。
本当に流暢に話すので僕は面白くなってしまい、その客引きについていくことにします。

彼の名前は、サダム・カーン(上の写真右)といい身長165cmほどで紫のシャツに黒のスキニーパンツという出で立ちでした。
僕は彼にホテルまで案内してもらい、彼と夜に会う約束をして別れました。
数時間ほどホテルで休んだ後、再び彼と会って夕食をとりました。
夕食はレストランに連れて行かれ、カレーを食べました。インドのカレーはこんなにも美味いものかと感動し、この日以来僕は日本に帰ってきてからも定期的にインドカレーを食べるようになりました。
レストランでは、彼が14歳の頃からコルカタに出稼ぎに出てきていること、日本語や英語は客引きで外国人に声をかける中で学んだこと、そのため学校には通っていないので読み書きがほとんどできないことを聞かされました。
今でもその時、「世界には色々な人がいるんだなぁ」と強く思ったことを覚えています。
その後すぐに彼から衝撃的な提案を受けます。
「明日、俺実家に帰るから、お兄さんも一緒に来ない?」
圧倒的に怪しいです。どう考えても怪しいです。
しかし、何を思ったのか僕は悩みながらもこの提案を承諾します。
カレーを食べ終わり、明日の朝会おうと約束してその場を離れました。
僕の頭の中では、
「これで良かったのだろうか、、、もしかしたら人気のないところに連れていき、仲間とボコボコにしてから金を奪い取るつもりなんじゃないのか、、、」
という不安がぐるぐると駆け回りました。
スポンサードサーチ
インドのコルカタで連れ回される
ここではコルカタの市内に到着した日の翌日について書いていきます。
ヴィクトリア記念堂を訪問
朝、サダムと会ってからまず「ヴィクトリア記念堂」に赴きました。
ホテルからヴィクトリア記念堂まではオートリキシャを利用したのですが、この時が僕が人生で初めてオートリキシャに乗車した瞬間です。
オートリキシャは三輪タクシーとも呼ばれ、普通の車よりも車高が低く、窓がついていません。
窓がついていないのでビュンビュンと風が車内に入ってきますが、当時2人分の席にサダムと途中から合流した彼の友人の2人に挟まれて座っていた僕にとっては外から入ってくる強風はありがたいものでした。
3人で喋りながら過ごしているとすぐに目的地であるヴィクトリア記念堂に到着しました。

ヴィクトリア記念堂は、1921年にイギリスがタージマハルをモデルとして建造した建物です。名前は当時のイギリス女王でインド総督も兼ねていたヴィクトリア女王にちなんで名付けられており、現在は書物や武器、彫刻、写真、絵画などを展示する博物館として機能しています。
僕たちはヴィクトリア記念堂の博物館には入らず、ダラダラと庭園を散歩し、他愛ない会話をしました。
お昼時になってお腹が減ってきたので、彼らに案内されるがまま再びオートリキシャに乗り、レストランに向かいました。
カレーを手で食べる
レストランは路地裏の、観光客など絶対に来ないであろう場所にありました。
2階建ての建物の階段を登り店員に声をかけると、水道で手を洗うように指示されてテーブルに案内されました。
この時点で「手で食べるタイプのやつやぁ」と悟った僕はたまらなくワクワクしました。
注文は全て彼らが決めて、僕はただ店内のエアコンの凄まじい効き具合に少しビビっていました。というのも僕はお腹が弱いのです。
20分ほど待たされると、待ちに待った料理が運ばれてきました。

すみません、、、興奮して撮影を忘れて食べちゃいました。
ただ、味はめちゃくちゃ美味しかったです。
魚介も肉も詰め込まれ、本場のカレーらしくスパイスがしっかり効いていたものを夢中になって頬張りました。
インド映画を見る
お昼ご飯を食べた後は、再びオートリキシャに乗らされて「クエスト・モール」という大きなショッピングモールに向かいました。
ショッピングモールは、日本にあるショッピングモールとほぼ同じようなイメージで、大きな建物の中に様々なショップが詰め込まれています。
ただ、建物の入り口で警察官らしき人に雑に荷物チェックされたという点では日本のものとは大きく違っていました。
そのショッピングモールで僕ら3人は映画を観ます。
3年以上も前ですし、言語もヒンディー語だった(?)ので詳しい内容は覚えていませんが、ストーリーの節目節目でひたすらインド人がダンスしていたということと、疲れ果てた体をここでかなり回復できたということだけは覚えています。
インド中華を食べる
映画館で4時間ほど時間を潰した後は一度ホテルに戻り預けていた荷物を預かった後に、中華料理店に連れていかれました。
この時初めて知ったのですが、インドの中華料理は結構有名みたいです。
僕が食べたチャーハンも絶品でした。
元々、僕が小さい時から休日には父がチャーハンを作ってくれるという家庭で育った僕は無類のチャーハン好きでチャーハンの味にはうるさいと自負がありましたが、それでもそのチャーハンは美味しかったです。
インドなので、インディカ米が使われており日本の一般的な中華のお店で食べるものよりもパラパラしており、味の濃さもちょうど良かったです。

クラブ(?)へ
チャーハンを食べた後は、インドのクラブのようなところで時間を潰しました。
クラブの店内には轟音で音楽が鳴り響いており、お店の奥に一段高くなった舞台で女性数人が代わるがわるダンスをしていました。
客は皆ダンスしている女性を指名してその娘にチップを払っていました。
僕は、店員からお前もチップを払えと言われましたが、サダムが何か耳打ちしてくれたおかげで僕は払わないでもいいということになりました。
ハウラー駅&橋
電車に乗る時間が近づいてきたので、オートリキシャに乗りコルカタで最も大きい駅である「ハウラー駅」に向かいました。
コルカタ市街からハウラー駅までは車で20分ほどかかり、途中フーグリー川という大きな川を渡ります。
フーグリー川を渡る際には「ハウラー橋」という大きな橋を渡るのですが、この橋は1937年から1943年にかけて当時インドを統治していたイギリスによって建設されたもので、建設当初から「世界で最も往来の激しい橋」と呼ばれています。
ハウラー橋を見たとき僕はその大きさとむき出しの鉄骨に圧倒されました。
インドで滞在した2週間で様々なことがありましたが、その中でもハウラー橋を見た時の気持ちは忘れられません。

ハウラー駅そしてファテープルへ
ハウラー橋を渡るとすぐにレンガ色のハウラー駅の駅舎が見えます。
ハウラー駅はインド最大級の駅で、23のプラットフォームを備えているようです。

駅舎の中は下の写真のように電車を待つ人でごった返していました。

サダムは、言葉は流暢ですが学校教育を受けておらず文字が読めないため、電光掲示板で彼の兄弟が予約したという電車の番号を僕が探します。
すぐに番号は見つかりましたが、発車時刻まではまだ時間があったため電車が来ておらずしばらく待ちました。
電車が来ると僕とサダムは2人でその電車に乗り込みます。
サダムの友人は僕たちとは別の電車に乗ってくることになっており、彼とはここでお別れをしました。
これから僕とサダムは彼の実家があるファテープル(場所は以下を参照)に向かいます。
スポンサードサーチ
インド旅行記コルカタ観光編のまとめ
いかがだったでしょうか?
今回は僕がインドに滞在して2日目と3日目に経験したことについて書きました。
次回はサダムの実家があるファテープルで過ごした7日間に経験したことについて書きますので、そちらもぜひチェックしてください。