【自己紹介】留年早稲田生マサルの高校時代
初めまして、マサルと申します。
僕は現在22歳で、早稲田大学教育学部に在籍しています。
この記事では高校時代から大学に至るまでの僕の経歴をご紹介します。
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高校1年

僕は埼玉県の偏差値58の自称進学校に通っており、高校1年生の時は当時所属していた男子バスケ部の活動に熱心に取り組んでいました。
なぜなら、そもそも僕がその高校を目指した理由は私立に比べお金のかからない公立高校にも関わらず、その高校の男子バスケ部が県内ベスト8に入るほどの実力を持っていたからです。
しかし、強豪校だったが故に練習はハードで僕は勉強にあまり力を入れることができず、そのことに不満を抱いていました。
また、部に集まっていた人たちはみんな僕より上手い選手ばかりだったので、だんだんと僕は精神的に参ってしまい、だんだんと練習をサボるようになっていき、最終的に僕は3月に10年続けたバスケを辞めてしまいました。
高校2年

部活を辞めてからはアルバイトを始め、学校の勉強にも力を入れるようになりました。
アルバイトはコンビニ店員をやり、お金を稼いだり、お客さんに叱られたりするなど様々な経験をしました。
学校の勉強については、定期テストで1位を取るという目標を掲げ、必死に勉強しました。
結果は最高順位が3位と微妙な成績でしたが、必死にやったことで勉強そのものに楽しさを見出せるようになりました。
また、2年生の夏休み前には塾に入り、受験勉強も開始しました。塾に見学に行ったその日に塾長から「今から勉強すれば、早稲田の政経に合格できるよ!」と言われて何の疑いもなく入会しました。
今思えばあからさまなセールストークですが、ここで勘違いさせてくれたお陰ですんなりと受験勉強を始めることができました。
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高校3年

3年生になると僕の生活は受験勉強一色になりました。具体的には平日は放課後に5~6時間、休日には当然のように10時間以上勉強をしていました。
遠足ではディズニーランドに行きましたが、その日ですら一通りの工程が終わるとすぐにパークを出て帰路につき、塾で勉強をしていました。
だからといって成績が良かったかというとそうでもなく、模試の判定では早慶はおろかGMARCHですらいつもE判定で、最終的に早慶とGMARCHについてはE判定以外の判定を見ることなく受験を終えました。
ですが、最後には早稲田大学教育学部、明治大学文学部、大正大学特待生に合格することができました。
まとめ
いかがだったでしょうか?
何となく筆者がどんな高校生だったか分かって頂けたでしょうか?
また、以下の記事では筆者の大学入学から現在に至るまでをご紹介していますので、こちらも是非ご覧ください。

【自己紹介】留年早稲田生マサルの大学入学から現在まで
この記事では留年早稲田生マサルの大学入学から現在に至るまでを簡単にご紹介します。このサイトを運営している人間がどういった人物が知りたいと考えている方は是非チェックしてください。